わたしのキオクdiary

幼少期から現在に至るまで

母への手紙

 

私の結婚式の準備段階でのこと

 

お母様への感謝の手紙を用意してくださいと

プランナーさんから言われた

 

 

母への感謝の手紙…

 

 

どういう風に書けばいいか悩んだ…

 

例題を見ても

お母さんに優しくされたとか、こんなエピソードがあったとか…書いてあった…

 

 

優しくされた?

やさしい…?

 

どんなことだろ…

 

幼少期から高校卒業までの記憶を辿ってみる…

 

 

 

ない…

 

 

いつも怒られてた記憶しかない…

 

どうしよう…

 

 

中学、高校とお弁当は作ってくれてはいたが…

 

人様に見せれるようなものではなかった…

 

彩りなんかなくて、茶色…

それも白いご飯がおかずの汁で茶色く変色していた…

 

友達のお弁当は色とりどりで

羨ましいかった

家に帰って母に言うと

 

決まって

私はそんな綺麗な弁当作れん!

欲しかったら自分で作れ!

 

って

激怒されたことがあった…

 

 

それからは

一度もお弁当の話は出来なくなったし

高校生になってからは、自分で作っていた

 

 

そんな母とやり取りで

優しい母のエピソード

なんてあるわけがない…

 

 

脳内を過去に向ける作業を必死で呼びよこした

 

 

小学校一年生ぐらいだろうか?

冬の寒い中

制服のボタンを必死で自分で留めようとするが

寒さのあまり手がかじかんで

思うように動かなかった…

 

お母ちゃん、ボタンとめて…

と恐る恐るお願いすると…

 

 

その時はなぜか

優しく私の手を触り

あー、こんな手冷たくなってー

と言いながら

私の手をさすってくれ、制服のボタンを留めてくれた…

 

 

すごくうれしかった記憶がある…

 

 

 

結婚式でそのエピソードを披露した

 

やはり、なぜか大泣きしてしまった…

 

 

母への想いは特別なもの…

 

 

数年前に亡くなって今はもういない母だが…

 

 

厳しかった母だけど

大好きだった…

 

優しくして欲しかったな…

 

 

 

 

 

心を閉ざす

 

家族…

 

特に母には心を閉ざしていた時期があった

 

 

何があって心を閉ざしていたのか

はっきりは覚えていないが…

 

 

思い出すのは

 

 

私が部屋の隅っこで泣いていて

 

母が、私の側ではなく…

 

 

部屋の片隅で泣いている私を

じぃーっとみている

 

そう、私の部屋の押入れに

家出をしようとして纏めた荷物を

発見された時だ…

 

『なんでこんな事をするのか?何をしてるんや?』

 

酷く責められた…

 

 

家には私の居場所がどこにもなく

自由がなく…毎日が息苦しかった…

 

 

どこか、どこでもいい

知らないところでもいい

この不自由さから解き放たれたかった…

 

 

思いつめた眼をしていたのだろう私

 

 

そのまま母は

私を見つめたままだった…

 

 

 

 

頭の中が嫌な事ばかりで

泣きじゃくった…泣いた…泣いた

 

 

死んでしまいたい…

 

 

不思議な事に

どこからか

 

『◯◯◯…死んだらあかん、死んだらあかんよ』

 

という不思議な声が聞こえて…

 

なぜか、私は安らぎを覚えた…

 

 

あの声は誰だったのか…?

 

 

今でも覚えている…あの声に救われた

 

 

 

 

 

桃の節句

 

私が生まれ育った故郷では

 

桃の節句が旧暦の4月3日に行われました

 

 

故郷の風習で

桃の節句の日には

母がお弁当を作り

家族揃って、近くの海や、山に行ってみんなで食べました

 

うちは貧乏でしたが、桃の節句には豪華なお弁当を作ってくれました

 

 

 

子ども心に嬉しくて嬉しくて…

何日も前から楽しみにしていました

 

お雛様はなかったけれど

その時は、そんなことはどうでも良かった

 

 

 

 

家族みんなで、楽しく出かけ、美味しい食事をする

 

今では、当たり前の事かもしれないが

当時の私には素晴らしいイベントだった…

 

 

 

自分が女の子を二人を出産し、育てる中で

お雛様が欲しかったけれど

 

お雛様は買えませんでした

 

どうしても欲しかったけれど

金銭的に買えなかった…

 

 

 

一般的には

嫁の実家が用意するもの…

なんだと他人から聞く…

 

どうしても実家の母には頼めませんでした…

 

 

娘が結婚し、女の子を出産した時には

 

私のような惨めな思いをさせたくなかった

 

どうしても

 

お雛様買ってあげたかった

 

娘と一緒に買いに行きました

 

 

これで私のあの時の惨めな気持ちが

 

少しだけマシになったような気がした

 

 

 

桃の節句

 

楽しくて、そして寂しかった、惨めだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の母

 

私のキオクの中では

 

常に厳しかった

 

常に誰かと比べられていた

 

早く自立したかった

 

 

この、自分の家族から早く離れたかった

 

 

母は父の代わりに働き一生懸命だった

 

母の帰りを待ちわびてた

『女の子なんやから、手伝うのは当たり前!』

って言われたけど、何を手伝うかも教えてくれない、手伝わなければ、ただ苛立ちをぶつけられた

 

 

私は金銭感覚がなく

貰ったお小遣いを1日で使ってしまうような子どもだった

 

ある日

母のタンスを開けると大きな財布が入ってて

中を開けると、何十枚もの一万円札が入っていた…

 

お金無いっていつもいつも言ってるのにいっぱいある!一枚だけならバレないだろう

 

と子ども心の安易な行動に出てしまった

 

すぐに母に見つかり

たくさんいる兄弟の中で

真っ先私がに疑われた

 

おまえが盗んだんだろう!

早く盗んだお金を返せ!

 

と、理由も聞かずに真っ先に私を怒鳴り散らしながら…

 

知らん!私じゃない!

って咄嗟に嘘をつく

私のことを犯人と決めつけた

 

そのうち激怒した母は

部屋を掃除するほうきを持ち出し

私を思い切り叩いた、何度も…

 

こんな事されるなら、絶対私が盗ったなんて言うもんか!

 

母を睨めつけ

私、盗ってない!

と言うと、また、ほうきで叩かれた…

 

母の母は…鬼の形相そのものだった…

 

 

やっぱり母は私のことが憎いんだ!

信じてもらえない、本当は私が悪いけれど

最初から信じてもらえない悲しさ、叩かれた身体の痛さに、心が悲鳴を上げた…

 

 

そのとき

父がもう、やめてやれ

女の子を叩くなんてやめろ

と助けてくれた

 

 

普段、私は父が大嫌いだった

嫌いオーラを放って、父を寄せつけなかったが

父は庇ってくれた…

 

これで両親から体罰を受けていたら

それはもう地獄だったに違いない…

 

父に感謝した

 

 

反抗的な私が憎かったんだろう

家の手伝いをしない私が嫌いだったのだろう

 

 

この後、2、3日

母に口を利いてもらえなかった…

 

 

自分の部屋から出たくなかった

家族でテレビを観て笑っている声を聞くのが嫌だった

うるさい!うるさい!

大声で怒鳴りたかった

母のように…

 

イライラをぶつけられると

相手が自分より立場が上だと捻じ込まれてしまうため、イライラを母にはぶつけられなかった

 

日々私の心は荒んでいった…

 

 

早く大人になって、働いてお金稼いで自立する、都会で生活する

 

 

が唯一の私の目標になった

 

早く家族と離れるために…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心の傷と左手首

 

中学生の頃

 

昼休みは自宅に帰ってお昼ご飯を食べてました。

今の時代そんなことは出来ないと思うが

田舎の学校で何十年も昔の話。

 

確か夏の日だったように思う

いつものように自宅に帰ると母はいない

父だけ

 

 

母も近くの職場から昼休憩は買物をしてから自宅で昼ごはんを食べていた。

 

 

その日は私と父だけ

父が嫌いな私は昼ごはんを無言で食べた。

 

学校に戻る前にトイレに入って用を足した後

私はグラリと目の前が揺れて『危ない!!』と思った時にはトイレの横の窓ガラスに身体ごとぶつかり…

 

咄嗟に左手で自分の顔を庇った

 

 

その時

ものすごいガラスの破壊音がして

私の左手首は

深い大きな傷と血が流れた…

 

どうしよう…どうしよう…どうしよう…

 

と困惑していると

 

 

父親が

《なにやっとんやー!!》と怒鳴り声

ガラスが割れたのを私がワザと割ったのだと思ったのだろう

ケガをしているのに気もついていない…

 

 

ガラスの破損音と怒鳴り声…不安

傷の痛さは全くわからなかった…

ただ怖くて怖くて泣いていた

 

 

隣の優しいおばさんが破壊音と私の泣き声、父の怒鳴り声に気付きすぐ駆けつけてくれた

 

私の傷を見るなり「大丈夫?あーかわいそうに痛いやろ?」って…

父には「ケガしてるやないの!怒鳴ってる場合ちゃう!」って

 

隣のおばさんの息子さんに車で病院に連れて行ってもらった

 

 

その後の記憶がぼんやりしてて…

遅れて一人で学校に行った記憶がある

泣き腫らした顔で…

 

左手首      何十年経っても傷跡残ってる

 

 

傷は痛くなかったが

心がズタズタに引き裂かれて血を流してた

 

 

 

あの時    母がいてくれてたらと…

 

 

 

思春期真っ只中の頃

 

 

 

 

私の父

私が物心ついた頃から仕事はしてませんでした

なので友だちのお父さんが仕事をしているのが不思議でした

 

我が家は他の家庭とは違うんだって思い始めて母に何度も「うちのお父ちゃんどうして仕事してないの?」って聞いた

 

 

 

 

 

父と母は15歳年齢が離れており

私が思春期を迎える頃には60歳を超えてたと思う。

若い頃から肉体労働をしていたためか身体のあちこちに不調があり仕事が出来なくなったようだ

 

 

今の私の年齢であれば年齢的に仕事が出来なくなるのは分かるがその当時はお爺さんのような父が嫌いでたまらなかった

 

 

父が働けなくなった頃から

父に代わり母が働き始めた

 

 

家事、育児、父の世話…仕事

ストレスも相当あったと思う

 

 

父と母はよく口喧嘩をし

母がよく父を罵っていた

 

 

そんな光景を見ていたからか 私たち兄弟は父のことが嫌いだった

 

 

 

母は毎日忙しく働き、父は家で寝てばかり

 

 

子どもはみんな母の味方

母が大好きだから

母に苦労させる父は嫌いだった

父の文句ばかり言っていた母

 

 

 

 

しかし

父が寝たきりになり

数年後亡くなった時

 

母から父は昔はものすごく子どもたちのために働き詰めだったと…感謝するんだと…

 

 

そんなこと

父が生きている時に教えて欲しかった

 

 

私が兄弟の中では1番父に反抗していたので懺悔の気持ちが強かった…

 

 

お父ちゃん

ごめん

 

泣きに泣いた

 

 

 

 

 

 

 

算数

 

小学生になって

1番嫌な教科が算数だった

 

足し算はまだなんとか出来たけど

 

引き算が出て来た頃にはサッパリ分からなくなっていた私。

 

それからどんどん算数が苦手になって…

頭の中に入ってこなくなった

 

今で言う学習障害

だったなのかな?

 

 

他の教科の授業は先生の言っている意味がわかったけどとにかく算数だけは皆無だった

 

 

何故?何故?なんでこんなバカなんだろう?といつも思ってた

 

どんどん自信もなくなり意欲もなくなった

 

先生に個別に教えてもらっても分かったふりしてたことがあったなぁ〜

全く分かってないのに。

 

 

社会人になった足し算引き算などはある程度出来るようになったがでも苦手

 

 

今でも算数出来る人  尊敬してます