わたしのキオクdiary

幼少期から現在に至るまで

金柑

 

金柑の実があちこちに実っているのをみて

 

ふと…幼い頃を思い出した

 

 

私の家の裏に住んでいたおばちゃん宅には

 

金柑の木があって

この時期に実をたくさんつけていた

 

 

ちょこちょこ歩いてご近所巡りをしていた私

 

 

裏に住んでるおばちゃん、が

 Mちゃんきんかんの実、出来てるからいっぱいあげるよ

 

って金柑の木から実を取って

小さい袋に入れて持たせてくれた

 

 

いくらでも取っていいよ

って実を取る方法を幼い私に教えてくれたんだ

 

 

木から実をもぎ取ると

ほのかに甘くて酸っぱい香りがして

私の好奇心が騒いだ

 

 

実を取って

おばちゃん、ありがとう

っていうと

裏のおばさんは

白い包紙にお菓子を入れて持たせてくれた

 

私の小さな右手に金柑の実

 

左手にお菓子の入った包紙を持って

 

 

坂道を下り

 

 

急いで家に帰り

姉と一緒に金柑の実を食べた

 

おばちゃんがくれたお菓子も

半分こにして一緒に食べた

 

 

楽しかったなぁ…

 

 

 

何日か後には

 

姉と一緒に裏のおばちゃんの家に行って

 

 

また金柑の実をもいで一緒に食べたね

 

 

甘くて、ちょっとほろ苦い

 

 

あの頃の匂い

 

 

金柑の実を見ると

 

 

思い出す…

 

 

 

裏のおばちゃんの優しい顔と

 

 

 

姉と一緒に食べた金柑の実

 

 

 

美味しかった

 

 

 

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ インナーチャイルドへ
にほんブログ村

姉の帰る日

 

私の姉は

目に障害があり小学校入学と同時に盲学校の寮に住むことになった…

 

 

ある日…

親からは何の説明もなく

私と一緒に毎日遊んでいたが突然といなくなってしまった…

 

 

当時、私は3歳…

 

 

 

 

 

 

本当に突然…

 

母に毎日毎日姉ちゃんは?どこに行ったん?

って聞いた…

 

市内の学校にいるから、今度会えるのは

夏休みと聞き…

 

 

幼い私は姉の帰ってくる日を待ち望んでいた

 

 

突然、姉が私の前からいなくなったときの事はよく覚えていない…

 

でも私の心の中にはポッカリ穴の空いた部分があって…

その部分を何かで埋めようとしていたのかな…

 

さみしい…さみしい…さみしい…

って思いしかない…

 

 

 

 

 

待ちに待った夏休み

 

 

 

姉ちゃんが帰ってくる…

 

 

嬉しくてうれしくて、うれしくて…

 

 

いつもいつも姉の後ろを追いかけて…

 

 

やさしい唯一の姉…

大好きな姉…

 

 

 

夏休みが終わり、盲学校の寮に帰る日は…

毎回大泣きして…た私

 

 

本当は姉の方が泣きたかっただろう…

小学生一年生で両親がいない場所に帰らなければならないなんて…

 

 

辛かっただろうな…

 

 

 

やっぱり別れの日は前が見えなくなるくらい

涙が流れても、流れても…

あとから後から溢れ出て…

 

 

姉も泣いていたけど…

大人しい姉は父に連れられ帰っていった…

 

 

 

いつも、いつもこの別れの日がとても…

とても…辛くて…

 

 

思春期の頃は…

いつも隠れて泣いた…

 

 

 

 

 

あれから…

 

 

また、私の前からは突然いなくなった…

 

 

もう二度と会えない場所に行ってしまった…

 

 

 

孤独だっただろう姉…

 

辛くても誰にも相談できなかったのかな…

 

 

 

迷惑かけてごめんなさい

 

 

 

 

メモ 書きだけ残して

 

 

逝ってしまった姉…

 

 

住んでた部屋はすっかり片付けられてて…

 

 

 

きっちりたたんだ布団や、枕には

懐かしい姉の匂いがした…

 

 

 

姉ちゃん…私、姉ちゃんの生きてた歳を越えちゃったよ…

 

 

姉の後ろばかり追いかけてた私

 

 

後何年で追いつくのかな?

 

 

 

ごめんね、ごめんね…

 

 

姉の孤独や寂しさ…

 

 

わかってあげられなかった…

 

 

 

毎日姉ちゃんの後ろばっかり追いかけてたけど

 

 

 

もう姉が帰ってくる日は

 

 

ないんだね…

 

 

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへ
にほんブログ村

こいぬ

 

小さい頃は犬が怖くて

自分より大きい犬に吠えられたり、飛びつかれたりして恐怖のあまり泣き叫んでいたなぁ…

 

 

私が小学校の時

住んでた町には野良犬がたくさんおり、当然その野良犬が子犬を産んでその辺を走り回っているのが日常だった…

 

 

学校の帰りにその子犬たちに囲まれて恐怖に慄きながら走って泣きながら家に帰った…

 

今思うと…子犬たちは遊んでー!遊んでー!って戯れてきてたんだとわかるが…

 

当時は噛まれるんじゃないかと怖かった…

 

 

今でもはっきりと覚えている

 

 

小学校4年の時に

友だちの飼っていた犬が子犬を産んだから見にくる?って言うので最初は怖いから嫌だと断っていたが

 

 

産まれたばかりだから怖くないよ

って言うから見に行った私

 

 

 

真っ白で目も開いてなくて…

温かくて…壊れそうで…

 

 

とても…とても愛おしい…

 

そんな存在だった…

 

 

私は子犬を友だちから譲ってもらう事にした

 

 

 

こんなに可愛い子犬、お母ちゃんもきっと喜んでくれるはず

 

 

 

タオルに包んでそっと抱っこして

家に連れ帰った…

 

家にいる父に子犬を見せると

かわいらしい子犬やなー

まだ目も開いてないなー

 

って…

2人でどうやってミルクをあげるとか育てることを話し合っていた…

 

 

仕事から帰って来た母が

 

 

子犬を見るなり…

表情が激変した…

こんな犬拾ってきて!どうするんや!!

 

友だちにもらってきたことを説明し

かわいいやろ?

 

 

って言った後…

 

 

 

返してこい!こんな犬飼えない!人間食べるのにも必死やのに!返してこい!

 

 

って

ヒステリックに怒鳴る母…

 

 

その姿を見た父が私を庇ったくれ

いろいろと母に言ってくれたが…

 

 

火に油を注ぐ状態になり…

大喧嘩が始まってしまった…

 

 

こんなかわいい存在を捨てるなんて

絶対に出来ない…

 

 

子犬を抱きしめ…母に言われたこと…

泣きながら…泣きながら…

考えても、考えても…どうしても納得できなかった…

 

 

こんなに小さい存在を…捨ててしまうの…?

死んでしまう…

 

 

私の心と子犬の存在がリンクして…

悲しくて…悲しくて…

 

認めて欲しくて…でも認めてもらえない…

 

 

小さな存在、命があるのに…

 

 

 

この日から毎日毎日

母に嫌味を言われながら耐えていた…

 

 

 

でも小学生の私に何が出来るのだろう?

 

 

 

結局は…

小さな段ボール箱に子犬を入れて

飼ってもらえそうな大きな家の前に…

置いてきた…

 

 

この時の辛さ、悲しさ…哀しさ…

今でも忘れない…

 

 

ごめんね…ごめんね…

 

 

ごめんね…

 

 

私の小さなシロ…

 

 

 

私の心と小さいシロは同じで

 

とてもか弱くて…

 

 

だから…必死で守ってあげたくて…

 

 

でも守ってあげれなかった…

 

 

 

ごめんね…

 

 

 

あの頃の私と

小さな子犬シロは同じ存在だった…

 

 

 

何日も泣いた…

 

 

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへ
にほんブログ村

 

 

 

銭湯

 

私が小学校低学年の頃

 

我が家にはお風呂

というものがありませんでした

 

子どもは夏はタライで行水

 

冬は2〜3日に一回、親戚の家でもらい湯か、銭湯に行くかどちらかでした

 

 

 

 

 

私が小学校低学年の頃は

一般家庭にはほぼお風呂はあったと思います

 

極貧で子沢山の家に生まれ落ちた私…

 

 

 

運命を受け入れるしか方法はありません

 

 

お風呂が家にないのが普通ではない

と気付いたのは随分経ってからでした…

 

 

 

ある日

母から今日は学校が終わったら親戚のおばさんの家に帰るんやで

と言われ

 

おばさんの家は小学校の近くで銭湯にも

近かった…

 

 

学校が終わっておばさんの家に行くと

既に母が弟2人を連れて私の帰りを待っていた

 

子どもながらに今日は銭湯に行く日なんだとわかった

 

 

銭湯は好きだった

大きなお風呂で

気持ち良かったという記憶がある

 

 

お風呂から上がって

自分でタオルで拭いていた

 

母は弟2人の面倒を見ていて

私の世話までは出来なかったと思う

 

その日

なぜか母は機嫌が良くて

私の頭や身体を拭いてくれて

とても嬉しかった…

 

 

そのあとタオルで私の頭にターバンをしてくれたんです…

 

 

その時

銭湯に来ていた知らないおばさんたちが

私を見ると笑顔で

うわぁー、かわいいねー

って言ってくれた

 

あまり褒めてもらうことが少なかった私…

テンションが上がったのだろう

銭湯の脱衣所で走り回って…そのターバンが何度も外れては母にターバンをしてもらっていた

 

 

他人に褒めてもらって嬉しかったのと

その時の…母の手がとても…とても優しかった

 

私の記憶の中で

母の優しさというものにあまり触れたことがなかったので…

 

今、その時の感覚が浮かんできて

切なくなった…

 

 

私は

母が大好きだったんだなぁって…

 

 

優しい母の手が本当に嬉しかった

 

 

何十年経っても

幼き頃のキオクがまだ残っているのは

不思議である

強烈に覚えている事もあれば…

ふと、なんかの拍子に思い出す私の中のキオク

 

 

書き綴っていきたいと思う

 

 

ひとつ、ひとつ…

 

 

思い出す限り…

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへ
にほんブログ村

サーカス

 

私が小学生低学年だった頃だと思う

 

市内にサーカス団がやってきていて

当時はすごく珍しくて

同級生がサーカスを観に行って、凄かった!楽しかった!って言うのを聞いては

私も観てみたい

と思っていた

 

3歳年下の弟もサーカスを観に行きたい!と母に連れて行ってもらえるように毎日頼んでいた

 

私もどうしても観たかったので

毎日弟と一緒に母に連れて行ってもらえるようにお願いをしていた

 

母はサーカスなんておもしろくないよ、行かない!と何度も却下された

 

しかし、私と弟はどうしても観に行きたかったので毎日毎日繰り返しお願いしていた

 

 

とうとう、母は私たちの必死の懇願に負けてしまったようで、サーカスの期間が終わる寸前に連れて行ってもらった…

 

 

 

もう、私と弟は大喜び、大はしゃぎだった

本当にここまでは嬉しかったことを覚えている

 

 

私の住んでた町は

市内から汽車で2時間もかかる場所

ものすごい田舎町だ

 

汽車に揺られて2時間

ずっと母は不機嫌だった…

私と、弟2人を連れて慣れない汽車に乗り、行きたくない場所に行かなければならなかった母

 

市内の駅に着いたときには

母はトイレに向かい、吐いていた…

 

吐き終わった後

もう、これだから汽車になんか乗りたくなかったんや

ってぶつぶつ言っていたのを覚えている…

 

 

子どもながらに申し訳ない気持ちが

襲いかかった…

 

 

母の気分が悪そうな不機嫌な顔を見ていると

楽しくてうきうきする気持ちが急降下で下がっていった…

 

 

サーカスの受付で長蛇の列

初夏だったように思う、帽子の脇から汗が流れ落ちる…

 

母がぶつぶつとこんなに並ぶのか、だから嫌だったんだとか不満を口にする

 

 

私はだんだん自己嫌悪に陥り

しんどくなってしまった

 

 

やっとサーカスのテント内に入り

椅子に座る頃には

もう、楽しい楽しいサーカス気分ではなくなってしまっていた…

 

 

サーカスの演技は続いていたが

 

 

いたたまれなくなって

 

 

お母ちゃん、もう帰ろう

 

 

って言うと

 

 

ほら、言うたやろ、おもしろくないって!

 

 

楽しみで楽しみで楽しみで

 

 

でも…

 

 

何度も何度も否定的なこと言われたら…

 

 

楽しみにしてたことも

 

 

楽しくなくなってしまうんだよ

 

 

極め付けは

 

 

 

おまえたちが連れて行ってくれって言うから来たのに!ほら、おもしろくないやろ!

 

 

それはそうだけど…

連れて行ってって言ったよ、確かに…

 

 

幼い私は

母の不満たっぷりの言い回しに

泣いてしまった…

 

 

 

大人になって、母になり

我が子に…

自分も母と同じようなこと言っていたことに

愕然としたことがある

 

 

親が楽しめば、子どももどんな事でも楽しめる

 

 

自分が楽しくなければ

子どもも楽しくない…

 

 

母も一生懸命だったに違いない

 

楽しませてあげようと

連れて行ってくれたに違いない

 

ただ毎日の生活に疲れていたのかもしれない

 

 

母はもういない

 

 

母の当時の気持ちを聞けない…

 

 

 

サーカス団を見ると切なく

 

悲しくて…

 

 

少しだけ苦しい…

 

 

過去が蘇る…

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへ
にほんブログ村

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早く大人になりたかったあの頃

 

私が高校生まで住んでいた家は

 

一般家庭からみると貧乏な家庭でした

 

貧乏子沢山とは

私が生まれ育った家のことである

 

友だちに7人兄弟というとビックリされたし、私が育った町では町中の人が我が家は子沢山ということを知っていた

 

 

小さい町で噂になっていたのだ

友だちの家に遊びに行くと友だちのお母さんが

必ず

7人兄弟ってすごいねー

と必ず言われ

その雰囲気から恥ずかしい思いを何度もした

 

 

恥ずかしい、恥ずかしい

そんなことばかり考えていた

 

 

 

何人兄弟?なんて聞かれるのが嫌だった

必ず正直に答えると

驚愕されることがほとんどだった

 

何人兄弟と聞かれると

いつも誤魔化したり、3人兄弟と嘘をついたりしていた…

 

 

子どもの頃は

こんな田舎嫌だ!

早く大人になって出て行ってやる!!

 

 

母と衝突した時なんかは

特に強く心に刻み込んだ…

 

 

 

早く大人になって自分で生活する!

 

 

高校生の頃は

毎日思っていたし、窮屈で何の自由もない家から早く出たかった

 

退屈で何の刺激もない田舎に嫌気が差していた

 

 

何かを求めて…

 

 

自由になりたかった…

 

 

思いのままに生きたかった…

 

 

 

明るい未来を夢見てたあの頃…

 

 

 

 

 

早く大人になりたかった

 

 

私…

 

 

 

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへ
にほんブログ村

哀しさの里帰り出産

 

初めての出産で

何が何だかわからない

 

当然のように田舎の母に頼るのが一番だと考え

里帰り出産

を決意した

 

予定日1ヶ月前に

田舎に帰省した…

 

これが間違いだったんだ…

 

母は暖かく迎えてくれたが…

年老いた父、弟2人…

私が暮らしていた頃の嫌な記憶が

フラッシュバックした

 

 

過去のどうにもいいようのない暗い、辛い、いたたまれない気分…

逃げ出してしまいたい、夫の住む家に帰りたい!!

 

そうは思っても、妊婦の私はどうすることもできない

 

夫と離れた寂しさで、声を聞きたくて電話をするが、当時夜遅くまで働いていた夫

 

帰宅は10時過ぎることが多かった…

 

実家は田舎で夜7時を過ぎると店は閉まってしまうような場所

当然、早く就寝する…

 

夜10時過ぎにこっそり電話をかける…

みんなの邪魔にならないように、母の邪魔にならないように…

 

毎日、どこに行くわけでもなく

家の中にいる私に母は、友だちのところに会いに行ってはどうか?とか買物に行こうだとか行ってくるが、どうにも行きたくないので断ると

 

妊婦が動かずダラダラしていたら、身体に悪いなどと、私の生活態度にケチを付けてきた

 

田舎だからどこにも行くところがない!

と反論すると

 

母の逆鱗に触れたのか

一気に私に不満をぶちまけた

 

こそこそ夜中に電話して!

そんなに田舎が嫌なら帰れ!

 

 

こそこそ電話?

私だってみんなに気を使って小さい声で電話してたんだ!そんなこと妊婦に向かって言う?

 

私は怒りと悲しみ、悔しさでいっぱいになったが言葉にできず、大泣きしてしまった…

 

毎日、我が家に帰りたい

夫にも電話で帰りたい、田舎にいたくないと何度も懇願…

 

 

翌日、少しだけ自宅に帰って、嫌だけどまた田舎に帰ればいいかと…

汽車に乗り、船に乗って夫のいる家に帰った…

 

父にはちょっと出かける

とだけ言い残して…

 

 

やっぱり自宅がいい…

改めて実感した、夫も優しく迎え入れてくれて…

 

その夜

破水し、緊急で以前検診を受けていた産婦人科に夫の運転する車で向かった…

 

 

絶対安静ですぐに出産準備に取り掛かる…

陣痛がおきていなかったので、陣痛促進剤を投与…まもなく陣痛が始まった…

 

 

陣痛の間、間に

母になんて言えばいいんだろう

と言うことばかり考えていた…

 

 

 

無事に女の子を出産…

 

実家の母には、夫が連絡をしてくれた…

 

激怒していたのではないか?と聞くと

お母さん、おめでとう

って言ってたよと…

 

しばらくして

実家の母に電話すると

やはり、電話の向こうで私に激怒、怒鳴る、これでもかと言うほどの怒り

を私にぶつけてきた

 

 

こっちの病院に謝りの電話をいれろ!お前の荷物は全部捨ててやる!

 

他にも夫に電話をかけた電話代を返せ!

(当時長距離電話は高額)

父に心配させてどうするつもりだったんだ!

 

ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられた…

 

母との決定的な断裂…

 

 

その時から

私は毎日毎日

乳飲み子を抱えながら泣いていた…

 

 

このときの私は、鬱状態だったと思う…

 

 

母に何度も懺悔の電話をかけるが

毎回怒鳴り散らされ、私の心はズタズタだった

 

ある日電話代を

現金封筒で田舎の母に送ると速攻で返された

 

 

もう二度と田舎には帰れない…

 

 

我が子の顔も見たくないのだろう…

 

 

 

どうしていいのかわからないまま

時は過ぎて…

 

助けてくれたのは…

母との絆を再び結んでくれたのは…

 

姉でした…

 

 

やさしい、やさしい

 

今は亡き姉でした…