わたしのキオクdiary

幼少期から現在に至るまで

 

私は7人兄弟

 

兄三人、姉一人、弟二人

 

姉は4歳上で幼い頃はいつもくっついていたように思う。

色白で大人しくて優しかった。

すごくすごく大好きだった…

 

 

母は姉には優しかった

私には手厳しかった

 

子ども心に何故?どうして?

なんで私ばかり怒るの??

同じ姉妹なのにこんなに差をつけるのはどうして?と…

 

 

 

 

姉には目に障害があった

 

 

母には姉に対しては不憫でかわいそうと言う思いが強かったのだろう。

 

そんなことは幼い私にはわかる訳もなく…

 

私が中学生くらいの時に

「お前は普通に健康に生まれてる、○○ちゃんは何度手術しても治らない、かわいそうだ、同じ女の子なのに」と言われたことがあった。

 

だから私にはキツく当たり姉には優しいのか?

子どもにとってそんなことわかる訳もない。

 

 

姉は障害のため小学校一年生から遠く離れた盲学校へ通いではなくずっと預けられたまま。

帰って来るのは長期の休みだけになった。

 

4歳上だから私が3歳くらいには突然いなくなったようなものだ。

大好きで大好きな姉がいなくなってわんわん泣いた記憶ばかりある

 

 

だから一人で遊んでいる記憶なのかな?

 

 

数年前に母が亡くなった時に姉ともいろいろ話をした。

遠くの盲学校に一人で寄宿舎生活、小学校一年生で親元を離れる寂しさ、孤独、誰にも甘えれない状況…

 

本当に過酷な日々だったと思う。

 

「あんなところに行くもんじゃない」って言ってた声が今でも鮮明に思い出す。

 

何故、何故、父も母も幼い我が子を手放したのか?

貧乏で子沢山で口減らしのためだったのか…

 

全く目が見えない訳でもない…専門の学校の方がいいと思っていたのか?

 

今となっては聞くことが出来ない…

 

 

 

弟が生まれる

 

私が6歳の頃

 

1番下の弟が生まれた

 

 

今思うと自宅出産

 

親戚のおばちゃんに「お母ちゃんどこ?」って聞くとあっちの部屋にいる、でも今は行ったらあかんと言われた。「なんで?どうして」とは聞けない雰囲気だったと思う…

 

 

 

何時間経ったのか…母が疲れた顔でその部屋から出てきた。母の顔を見ると安心した…

 

 

弟が生まれた日だと思うが名前を決める家族会議のようなものが開かれた。

父はこの名前で漢字は2つ候補をあげた。

 

兄(長男)当時18歳が

この漢字の方がいいとその名前に決まった。

その時の様子、父や兄の表情など克明に覚えている。

 

 

大人になって母が亡くなった時に兄(長男)に話すとびっくりされた。

 

 

弟はとても可愛くて可愛くて

40代後半のオッさんになっても

可愛い存在だ(笑)

 

 

弟が生まれるとまた母からは縁遠くなった。

 

 

 

わたしの中の1番古いキオク

思い出せる限り自分の記憶を思い起こしてみようと思います。

 

 

 

わたしは1番古い記憶はたしか4歳くらいだったと思う。

 

いつも一人で当時の流行りの歌謡曲を歌っていた。

 

一人でと言うのは記憶の中だ。

 

 

その当時私の家族は両親、兄弟6人で暮らしていた。(後に7人兄弟になる)

 

なんでだろ、一人で遊んでいたり、歌を歌っていたりの記憶。

 

 

普通に幼稚園、小、中、高校と普通に学校に行って就職、結婚、子育てをし現在はその子どもたちもそれぞれ結婚しかわいい孫たちも誕生した。

 

その自分の子育ての中でいろんなことがあり自分自身がカウンセリングをすることに…

 

 

 

その中で幼少期の記憶を呼び起こす作業があった。

 

 

幼少期はとてもさみしいさみしい気持ちでいっぱいだった。大好きな母を呼んでも声はするが顔を出してくれない、とても不安な様子の小さい私がいる。

 

実際は大家族であるにも関わらず

不安だったのか?さみしかったのか?

 

孤独な心境だったのだろう。

 

母はすでに6人の子持ちで子育て、家事、内職で忙しかっただろう。子どもには構っている暇はなかったのかもしれない。

 

大好きな母の側にはいたいけれど 母を困らせることを辞めたのかもしれない。

 

 

このカウンセリングの中で小さい私は

 

さみしいと泣いた…

 

声を震わせ…何度もさみしいと…

 

 

 

 

 

 

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